能とオペラ《松風》 vol.1 能「松風」

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新国立劇場で2月に日本初演されるオペラ《松風》に関する企画に参加してきました。

(1月10日 国立能楽堂にて)

《松風》は元々は能の「松風」から題材をとっており、この企画はその元となった能を知ることで、よりオペラ《松風》を理解しようというもの。

〜あらすじ〜

ある僧が須磨の浦を訪れた際、気になる「松」を見つけ、地元の人に尋ねると、その松は松風、村雨という二人の海女の住んでいた場所だと知る。その後、月明かりの下、汐汲を終えた美しい二人と出会い、話すうちに、在原行平に寵愛を受けた松風、村雨の亡霊だと明かされる。姉の松風は、行平を思うあまりに、「松」を行平だと思い込み、狂乱し、すがりつこうとするのを村雨が止めたりする。松風は自分たちの供養を僧に頼み、やがて、二人は消えていく。残るのは松をわたる風だけとなった。

* ご挨拶と解説 (宮本圭造さん)

この歴史ある深い作品を5分で解説しろとのお達しで(笑)と、冒頭笑いをとった。少し訛りのある話し方、どこ出身かなと頭をよぎったが、そんなことは関係ないですね。概略は以下の通りです。

能には本舞台と橋掛かりがあって、登場人物が橋掛かりを利用するのは異界の人と出会うためである。異界の人とは、神、鬼、亡霊たち。この異界の人たちを視覚化するのが能といっても過言ではない。」この「松風」は亡霊の浄化を劇化しているもの。

これが↑本舞台

本舞台の左側に延びる廊下のようなものが橋掛かり↓

* 汐汲みの段

地謡の3人、お囃子の3人、ワキ(村雨)、シテ(松風)が静々と本舞台右の入り口から登場。シテが「いざいざ汐を汲まんとて〜」と始まりました。詞章のプリントをいただいていたので、言葉が理解できて助かりました。汐汲みは憂き秋を過ごしているけれど、汐汲みの桶に月が映っていると地謡が語ると、シテが「月は一つ」地謡が「影は二つ」と語ります。これは月が在原行平、影が松風と村雨を当てているとのことでした。

これ↑が汐汲み車です。この車の上に乗っているのが桶、ワキがもう一つ持っていて、汐を汲んだ後、シテに見せます。

この段に須磨の浦ではなく、鳴海潟という地名が出てきますが、それは元々この段は「藤栄(とうえい)」という能から拝借してきているからだそうで、オペラでもつぎはぎのものがあるように、能も同様なことがあるそうです。

* 狂乱の段

能は飛んだり跳ねたりはないわけで(笑)説明がなかったら狂乱していると捉えることができたかというと甚だ疑問です。汐汲みの段と同様にほとんど静々と動いていましたが、「松」を行平と思い込んで「松」の周りを回った時には、少し動きが早く感じられました。

えっえっえっ!

行平の句の冒頭を地謡が「た〜ち〜わ〜か〜れ〜(立ち別れ)」と言った途端、本舞台から、橋掛かりの先までシテ(松風)がまるで足がないかのようにするする〜っとスピーディに移動したのです。松風が行平を思うあまりに狂乱したことを表現していたのです。その後本舞台に戻ったシテは「中の舞」といって、歌なしで、狂乱を表現していました。「稲葉の山の峯に生ふる、まつとし聞かば〜」とシテが歌います。

「松風ばかりや残るらん、松風ばかりや残るらん」で終わります。

能では風の音は入りません。が、もともと、能は外で行われていたことを思えば、自然界の風が吹いたかもしれませんと、宮本さんがおっしゃっていました。

*休憩を挟んで、座談会に。ここではオペラ《松風》と能との対比や、今回、新国立劇場での演出の在り方など、様々なご意見が飛び交いました。

長くなるので、次回に。

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お読みくださり、ありがとうございました!

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