一見、よくある人魚姫のお話だけど、これはもっと深い意味があることを9/3にあった《ルサルカ》の解説で聴いた。

ドヴォルザーク《ルサルカ》ドラマトゥルクレクチャー by 宮城聡(演出家)&阿部賢一(チェコ文学者) 2017/9/3 at 日生ビル会議室
11月にある日生オペラ《ルサルカ》の勉強会宮城さんの解釈はルサルカの住む世界と王子の住む世界をボヘミア↔︎ロンドン、ニューヨークとして捉えている。(うろ覚えで、正確ではないですが、こんな感じ〜笑)ドヴォルザークはスラヴ舞曲集...
自分のいる世界から言葉の通じない世界へ。
ドヴォルザーク自身はチェコからアメリカへ。
あるいはチェコから、ウィーンをイメージする人もいるかもしれない。
言葉を失うということ→表現手段を失うということ→意思が伝えられないということ
それはどういうことなのか。この問題は、水の精のおとぎ話ではなく、今のこの時、この場所で生きている私たち自身の問題として捉えるべきこと。そのあたりをもっと強調して演出して欲しかったと思う。
特に、ライバルの公女が現れた時に、言いたい放題言われている最中に、固まったように佇んでいるのは違うかなっと思ってしまたのは私だけでしょうか?
言葉を発することができない時、人は必死でジェスチャーやアイコンタクトで意思を伝えようとするんじゃないかしらね。伝えたくても伝えられないもどかしさを表現することが、このオペラの醍醐味だと思う。
イェジババが魔法をかけるところは面白おかしく、よく考えていたと思うけど、魔法によって、足をもらい、人間になったルサルカがほぼ同じような服装のまま、ハンドバックを持っただけだったのは残念に思う。人間になったことをもっと強調する演出が望ましいのではないかしらね。
歌はよく健闘していたけれど、ルサルカの声質が固くてイメージと違ったのが残念だった。
山田和樹さん指揮はメリハリが効いてなかなか良かった。彼はまだオペラを振るキャリアは長くないと思うので、これから益々磨いていってほしい指揮者だ。
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